ダンス物語⑭突然思いがけない天災に!1995年に起きた阪神淡路大震災で被災する!

私は、多くの生徒さんを育て

発表会に出演させていました

<基本をしっかり教え込めば、後は

ほっといても上達していきます>

そのような論理に、かなり自信がありました

そんな中、1995年1月16日の夜

ペットのインコが、かごの中でバタバタと

音を立て、なかなか眠らないのです

「どうしたんだろう?」と思いつつ

私は、寝てしまいました

部屋の中は去年のクリスマスパーティーで

頂いたお花でいっぱいです

何時間か経つと、その時です

ゴーーーーーーー

キキキキキキーーー

凄い横揺れでベットは右左と動いています

怖くなって布団をかぶりました

部屋の中の物が落ちたり跳ねたりして

大きな音を立てています

私の布団にもぶつかってきます

最後に大きな縦揺れで体は宙に浮き

ドーンと落下しました

暫くすると揺れが,しずまりました

私は放心状態です

少し気持ちが落ち着いてきてから

恐る恐る窓から外を見ると、土煙が上がり

ポートライナーの橋が崩壊し

斜め向かいのビルが倒れて、道路をふさいでいました

「これは大変だ!」と動揺しました

そうしていると、あちらこちらから

「助けてー」「助けてくれー」と声がしてきました

私は、本能的に「助けなければ!」と思い

無茶苦茶になった部屋を飛び出しました

外は空爆を受けたような状態です

また、「助けてくれー」と声が

見ると1階がペチャンコになっている窓から

おじいさんが手を出していました

私は無我夢中で走っていき引っ張り出しました

おじいさんは、私の手を握り

「ありがとう ありがとう」と言ってくれました

「他にも誰かを助けなければ!」と思い

近辺を走り回りました

‐‐‐—–-次回続くーーーーーー

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ダンス物語⑬私は電話を持っていない!時には電報が!そんな時、思いがけないプレゼントが!

今は、どなたでもスマートホンなどの

携帯電話をお持ちですね。

当時、連絡する手段はお家の固定電話か

公衆電話,ポケベルなどでした。

携帯電話を持っている人は、特殊な仕事をしている人

工事現場で仕事をしている人などでした。

一般的には、普及されてませんでした。

今の若い方には信じられない世界です。

そんな中、私は固定電話も持っていませんでした。

それなので、ついついうっかりすると

知人や生徒さんから電報が届くのです。

「**です。至急ご連絡下さい!」と。

一瞬、「ドキッと」としますね。

急いで公衆電話から電話をします。

お相手からは、「もういい加減電話つけてよ!」

と言われます。

「つけてよ!」とは、家に設置することです。

今思えば、人と連絡がなかなか取れないことに、

情緒を感じていたのかも。

そしてある時、

Mさんが、「先生、プレゼント!」と

セイデンシャの大きな袋を渡してくださいました。

「何ですか?」と、お聞きしますと

「開けてみて!」と。

すると中には、電話機と

NTTの加入権が入っていました。

私は、思わず感極まって、

「本当にありがとうございます。」

Mさんは「いえいえ、どういたしまして!

先生これで逃げられませんよ!」と。

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社交ダンス物語⑫生徒の皆さんとデモンストレーション!どこで踊っても通用するダンスにしたい!

時がたち、私の生徒さんも

それぞれ上手になっていきました。

そんなあるとき、「先生、デモしたい」

「先生と一緒にダンスを発表したい」と、

真剣な表情でおっしゃられました。

私は、この時を待ってました。

「Tさん、頑張ってみますか?」と言うと、

「先生、お願いします」と、

うれしそうな顔をされました。

それから、週二回、半年をかけて

Tさんのダンスを仕上げていきました。

足からヘッドに向けてのライン。

ヘッドチェンジの時間のかけ方。

リズム感など、どこで踊っても通用する

ダンスにしてあげようと思い、その気持ちが

Tさんに伝わったように思います。

一生懸命レッスンについてきてくれました。

そして半年後、Tさんは、私とワルツで出演しました。

余計なことをせず、教えたとおりに

踊ってくださいました。

拍手喝采で、Tさんには多くの方々が

「とても綺麗だった」と言っていただきました。

私は、Tさんに「よく頑張りましたね。

習ったことを確実に表現できた。その成果ですよ」

と言うと、少し涙を浮かべられて

「先生、踊っているとき、とても気持ちよかった。

ありがとうございました。」と、お礼を言われました。

私も、少し満足をして控室に向かおうとすると、

後ろから「先生、待って~~~」と声が聞こえました。

私の生徒3人が近づいてこられて、

3人口をそろえて、『私たち次回、出演させてください」

とおっしゃられました。

私は、「これは大変だ!」と思いつつ、

「この3人を、どう育てようか!」と、

考えていました。

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社交ダンス物語⑪プロ競技ダンスの厳しさ!

私は、ある教室の先生とご縁があり、

プロの競技会を目指すことになりました。

昔、ダンスホール・ワールドで、

競技選手が真剣に練習していたことを、

思い出しました。

競技ダンスは、基礎的なことはもちろん、

芸術的センスも大切です。

カップルバランス、フィーリングなども。

このような要素を総合的にレベルを上げていくためには、

練習を重ねることが大事です。

お昼のレッスンが終わると、夜は、競技会の練習をしていきました。

2人で、まず基礎的な動きを反復練習します。

次に、全体的な流れをつかみ、

踊りを立体的に(3D)していきます。

この時、身体には、かなりの負荷がかかるので、

バランスが崩れやすくなります。

日頃からの、ウォークの練習が、大切になってきます。

よく生徒さんから、「先生、ダンスの上達には、

筋トレをしないとだめですか?」と、質問を受けるのですが、

過度な筋トレをすると、体が重くなり、固くなって、

踊りの機微な強弱がつけにくくなります。

身体全体を使って踊ることにより、

必要な動きには、必要な筋肉がつきます。

私が、日ごろから気を付けていることです。

そして、毎日練習を重ね、半年がたちました。

いよいよ新人戦です。

会場は、大阪、ダンスホール・ワールドです。

会場の二階を見上げると、私のファンの方、

生徒の皆さんの姿が見えました。

「先生!頑張って!」と聞こえてきました。

「来てくれたんだ!勝たなければ!」と、

私は思いました。

1回戦が始まりました。ワルツです。

最初は、意外とスムーズに踊れました。

床が少し滑るのが気になったので、

昔、ワールドに踊りに来た時、

「奥の角、中央、入り口手前が、滑った!」と、

思い浮かべました。

うまく踊れました。

そして、2回戦、3回戦、準決勝と進み、

決勝まで残ることができました。

決勝は、6組です。

私は、本気で「優勝するぞ!」と、

心の中で思いました。

1組ずつ紹介されてから、踊り始めです。

無意識に、踊りながらほかの選手を意識してました。

「さすが、上手いな!」と、

私も負けまいと踊りました。

曲が止まり、終了です。

「終わった!頑張った!」

暫くして、結果発表になりました。

私たちの組は、5位でした。

うれしさ半分、悔しさ半分で、

「やはり甘くないな!」と、思ったのです。

そして、この日をスタートにして、

プロの競技会で入賞を重ね、

上位クラスを目指していきました。

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社交ダンス物語⑩夜の仕事と昼の仕事が綱引き!どちらも大切!さあ、どうしよう!

夜の仕事も慣れてきて、独自のメニューも、

作れるようになりました。

みなさんには、内緒にしていたのですが、

私は、お菓子屋の四代目なのです。

経験は浅いのですが、お店では、

いろいろと自由にさせていただき、

かぼちゃのプリン、抹茶のムース、フルーツケーキ、

アップルパイなど10種類ぐらいのお菓子を作り、

クリスマスには、イチゴのショートケーキを、

メニューに入れました。

お客様には、とても喜んでいただきました。

ビュッフェスタイルなので数分でなくなりました。

チーフは、私に、「今日は作るのをやめとけ!」

「奴らは(お客様)は、いくらでも食べるぞ!」

と、言いました。

私は、「わかりました!」と、素直に返事をしましたが、

心の中は、とてもうれしかったのです。

ホールの女の子も、お客さんが少なくなってきたら、

キッチンに入ってきます。そして、

私の横に来て、しばらく立っています。

私は、「どうしたの!」と、言うと

ニッコリとして、「うん!」と、言うのです。

私は、少し、じらして「そうなんだ!

これが目的なんだ!」と、言うと

「そう!」と、言うのです。

私は、「チーフには、内緒だよ!」と、

<兄貴の>お菓子をいくつかあげると、

喜んでホールに戻っていきました。

業界用語で、兄貴と弟があります。

そして、「あっ!」という間に時間となり、

着替えて、阪急電車に走りました。

こんな感じで夜の仕事を続けているうちに、

お昼のダンス教師の仕事も、

予約でいっぱいになりました。

オーナー先生からは、「あなた!夜の仕事は、

もう、いい加減にやめなさいよ!」

「夕方からのグループレッスンを手伝ってよ!」

と、おっしゃられました。

私の本業は、ダンス教師なのですが、

ライブハウスの仕事も楽しいので、

しばらく続けることにしました。

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社交ダンス物語⑨教えることの難しさ!10人いれば10色の色があります!

プロになってから半年がたちました。

新規の入会者や他の先生のおかげで、

私の予約帳は、いっぱいになりました。

デパートで買い物をしていると、

「先生!」「次、金曜日ね!」と、

声をかけていただいたりして、

やっと、「プロとして仕事をしているんだな」と

実感することができました。

それと同時に、生徒の皆さんは、

レッスンを楽しみにしてくれてるので、

「正しく教えなければ!」と、

責任を感じました。

そして、そのように考えていると、

ある矛盾が!

それは、楽しいレッスンと、

ダンスを習得していくレッスンは、

必ずしも一致しない!ということです。

生徒さん生徒さん考え方が違い、目的も違うので、

その辺を見極めて教えなければ!と、

思ったのです。

なかなか頭で思っても実践が難しいですね。

そんなある日、ご年配の方が、私の肩に手を当てて、

「先生、もっと肩の力を抜いて」

「私は、先生とお話をしに来ているの」

と、おっしゃっていただき、

何だか気分がとても楽になってきました。

その時、ふと、「やはり、習い事を続けるには、

楽しい方がいい!」

「1番が楽しく2番が上達だな」

「レッスンが楽しくて上手になればいいんだ!」

と、思ったのです。

ただ、生徒さんには、個人差があるので、

楽しさと厳しさを天秤ばかりで計りながら、

生徒さんに接していきました。

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社交ダンス物語⑧プロになってからの計画!お初天神通りのライブハウスで幼なじみと再会!

私は、プロになりました!

だからといって、

生活が保障されているわけではありません。

「これから自分で道を開いていかなければ」と、

強く思いました。

まず最初に計画したことは、

梅田の教室で、13:00~17:00までの間、

社交ダンスを教えて、

18:00~23:00まで他の仕事を探そうと。

そして、お初天神通りのライブハウスに求人があり、

面接に行きました。中に入ると、黒服の人が立っていて、

私を見るなり、「もしかして!」と言われたので、

よく顔を見ると、幼なじみのA君でした。

「久しぶり!」と、お互い握手して、

私の仕事は、即決したのでした。

そして次の週になりました。

プロ初日です。12:30に教室に入りますが、

「13:00からのレッスンを受付します!」と、

言っても私に生徒がいるわけではありません。

電話での問い合わせや見学希望者もなく、

他の先生のレッスンを眺めていると、

とうとう、17:00になりました。

仕方なく、着替えて、ライブハウスに向かいました。

「おはようございます。」

「今日からよろしくお願いします」と言って、

ホールではなく、キッチンに入りました。

私の仕事は、オードブル、サラダ、フルーツの盛り合わせ、

プリンなどを作ることでした。

何とかこなして23:00前になると、A君が来て、

「どうだった、続きそう!」と心配してくれたので、

「大丈夫!出来ると思う!」と言って

時間が来たので、阪急電車に走りました。

ドタバタ、ドタバタの数日でした。

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社交ダンス物語⑦ある教授との出会い!一緒に住まないか!

ある日、教室でレッスンをしていると、

一人の男性が見学に来られました。

そして、入会されることになりました。

その方は、某大学の教授です。

私は、「この方を誰が教えるんだろう?」と、

興味津々で見ていたら、

ベテランの女性のH先生が担当になりました。

そして、週2回レッスンに来られました。

そんなあるとき、私は、レッスンをしていると、

隣から言い争う声が聞こえてきたので、

ふと、振り向くと教授とH先生でした。

どうも、教授は、H先生の教え方が、

論理的ではなかったことに不満だったみたいです。

私は、これは2人とも頑固だから、

「これから先、大変だな!」と思いました。

レッスンも終わり、

椅子に座っていると、「ちょっとよろしいですか!」と、

教授が来られて、「Iと申します。」と、

ご挨拶されました。そして、私に、

「ちょっと教えていただけませんか?」と、

おっしゃられました。

どうも、サンバのベーシックがうまくできなかったようです。

私は、リズムと、バウンス・アクションの仕方を

丁寧に説明してあげると、とても喜ばれ、

「ありがとう!」と、一言、言われて

お帰りになられました。

それからは、I教授とよくダンス談議しました。

北野坂に風月堂という喫茶店がありました。

コーヒーが600円くらいで、

お菓子がついていたように記憶してます。

そこで、I教授は、「僕は、先日、気づいたんだ。

雨の日に、水たまりを飛び越えようとして。

その時の弾みが、バウンス・アクションだ!」と、

私は、「凄い!日常生活から導き出すとは」と、思ったのです。

I教授は、テンションが高まり、

「ディスコに行こう」とおっしゃいました。

当時、ディスコ、ライブハウス、キャバレーなどが、

流行っていて、東門街のマハラジャ、

北野坂のセキーナ、

生田ロード山側のナイトアンドデー、

トアロードのケントスなどで、よく踊っていました。

私は、ディスコダンスに自信があったので、

「行きましょう!」と、返事しました。

最初は、I教授と2人で行きましたが、

その後、ダンス仲間4~5人が加わり、

とても楽しくなりました。

ナイトアンドデーでは、他のお客さんから、

「貴方に踊ってもらうには、

どこで、受付したらいいのかしら」と、

言っていただき、

「私も客です。踊りましょう!」と、

踊ってあげました。

そんな日が、しばらく続き、

ある日、I教授のご自宅に伺うことになりました。

お部屋は、本でいっぱいでマルクスの資本論など、

経済の本ばかりでした。

I教授の専門は経済、私の専門はダンスで

お互いの強みを織り交ぜながら、

楽しくお話を数時間させていただきました。

そして、「君のことをいつか本にしたいと思っている!」と、

言っていただき、私は、すぐさま

「悪いことは、書かないでくださいね!」と、

言うと、「ニッコリ!」と、笑われて

唐突に、「君、僕と一緒に住まないか?」と、

おっしゃられ、私は、「ドキッと!!」としました。

「これは、いろんなスタイルがあるぞ!

どんなことになるんだろう?」と、

勝手にいろいろと想像を膨らませました。

どうも、大学近くのマンションに住みたくて

2人で生活すれば、家賃が折半できるからだそうです。

I教授は、「考えといてね!」

「僕は今から神戸大学に論文を持っていくから」と、

言われて出ていかれました。

私は、ゆっくりとさせていただき、

指示された方法で施錠して帰りました。

次の日曜日、大学近くの3LDKのマンションを、

内覧しました。とても綺麗です。

I教授は、とても、テンションが上がっていて、

「僕は、奥の部屋で 君は、すまないが玄関近くの部屋に

してくれないかな。なぜならば、論文に集中したいんだ。

もう一つの部屋は、2人の収納部屋で、どうかな?」と、

おっしゃられました。

私は、思考が働かず、帰ってから相談することで、

その場を後にしました。

結局は、2人で何回も検証して

やめておこうということになりました。

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社交ダンス物語⑥試験前講習!そして、プロテスト!(ダンス教師試験)

当時、ダンス界は、今のようにいくつかの団体に

分かれておらず、一つの団体で構成されてました。

競技会は、一つのブロックの出場者がとても多かったです。

プロ試験も受験者が、かなり多かったように記憶しています。

時がたち、いよいよプロ試験です。

準備をしていきました。

試験は、筆記と実技があり、筆記はダンスの技術的なこと、

一般教養、マナーなどです。

実技は、ソロ試験、カップル試験です。

私の勉強法あるいは練習法は、半分は特定の先生のご指導で、

残りの半分は、独学でした。

その理由は、踊り方がいろいろあったからです。

自分自身で本当の踊り方を見つけようと思ったのです。

試験前講習会の当日、40人くらいの受験生が来られていました。

協会技術部の部長の橋本先生が、本日の講師でした。

試験に出るステップやアマルガメーションなどの説明を受け、

それを、その場で受験生が実践する流れです。

何回かこの工程を繰り返していると、

「そこの君!」と、声が聞こえてきました。

誰を呼んでいるんだろうと思って振り返ると、

先生と受験生全員が、私の方に向いているではないですか。

「しまった!何かやらかしたんだ!」と思い、

「はい!」と、返事をしました。

すると、

先生が、「みなさんの前で踊りなさい!」と、

おっしゃったので、「あ!はい!」と、言って

指定されたステップを踊りました。

踊り終わると先生は、「OK!」と、言ってくださいました。

また、しばらくすると、「みなさんの前で踊りなさい!」と、

おっしゃられ、「OK!」でした。

私だけこれを4~5回させられました。

私としては内心、気持ちよくなってきて

少し有頂天になっていました。

すると、他の役員の先生が、私に近づいて来られ、

「あなた、、ちょっと!」

「ヒール・プルをやってごらんなさい!」

とおっしゃられ

「はい!」と言ってすると、

「ヒール・プルができていない!」

「それでは試験、落ちますよ!」

と、言われました。

やり直して、丁寧に踊ってみせると、

「まあ、いいでしょう!」と、言っていただき、

ほっと、しました。

おそらく、「調子に乗っている私の鼻をへし折ってくださったんだな」と、

思いました。

そして、翌日になりプロ試験当日です。

筆記試験は、想定した問題が多かったので、まずまずでした。

実技試験は、ソロダンスの男性、女性を間違えずにできました。

カップルダンスは、スローの時、4つ角から4組、踊り始めるので、

中央でぶつかる可能性があるため、他の組から遅れてスタートしたのは

とてもよかったです。

お相手のパートナーからは、何回も腕を引っ張られました。<笑>

そして、無事終了しました。

試験を終えた感想は、ご指導していただいた先生に感謝と

私の独学力に確信が持てたことです。

<自分自身で思考することは大切と>

何日か過ぎると、試験の結果が発表されました。

合格でした。

「よかった!」と思いながら他の合格者と

喜びを分かち合っていると

橋本先生が来られて「君、トップだったよ!」と、

おっしゃっていただきました。

とてもうれしかったです。

それと同時に、「あまり有頂天にならないでいよう」と、

思ったのです。

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社交ダンス物語⑤大阪へ武者修行!ダンスホール・ワールドでダンスを踊る!

あれから何日か経ちましたが、今だに、

神戸大学の女の子と踊った感覚が忘れられず、

「上手だったな…」と、思っているのです。

それと同時に、ふと、

「今の自分は、どのくらいのレベルなんだろう?」と、

思ったのです。そのときは、まだ競技会には出ていなかったので、

比較する対象があまりなかったのです。

大阪には、その当時、北には、ワールド、南には、メトロと、

ダンスホールがありました。

競技選手もそこでよく練習をしていると聞いていたので、

「大阪へ修行に行こう」と思い、ダンス仲間に声を掛けました。

大学生、神戸市職員、看護師さん、大学職員など

いろんな職業の方がおられました。6~7名集まり、

そして、大阪のダンスホール・ワールドに行ったのです。

中に入って、まず,一番にびっくりしたことは、

あるカップルが、ものすごい勢いで言い合いをしながら、

練習をしてました。それは、競技選手です。凄い!

その他、ダンサーとお客さん、熟年カップル、

先生と生徒、又は先生とお客さんなど。

いろんな人間模様があります。

「みんな上手に踊っているな~」と思いながら

あることに気づいたのです。

それは、「人に見られているから上手に踊ろうと頑張っているだな」と、

いうことです。人が見ていなかったらどうでしょう?

しかし、競技選手は、それとは少し違っていて

競技に勝つための練習なので、厳しさがあります。

カップルバランスを保ち、踊りのラインを

クリアーにして美しさを表現していくのです。

これらをしばらく観察して、私は、

「自分自身は、まだまだだな…」

「神戸に帰って練習をしなければ」と、思い

最終電車に乗りました。

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