私は、大阪の街を一人ぶらぶらと歩いていました。桜の季節も終わりかけたころです。お初天神通りの中ほどを歩いていると、「ワンワン、キャンキャン」と鳴き声が聞こえてきました。ふと横を見ると大きなペットショップでした。なんだか吸い込まれるように中に入るとワンちゃん、ネコちゃんがたくさんいました。ピンク色のオウムもいました。名前はモモちゃんだそうです。近づくと「おはようございます」と言ってくれます。「夕方なのに、おはようございます。とは変だな。夜のお姉さま方が教えたのかな?」と思ったりしたのですが、オウムは言葉を覚えたら朝も昼も夜も「おはようございます」だなと思い,私はオウムに「こんにちは」と言うと「キキキキキキ」と笑われました。私は何をやっているんでしょうね((´∀`))。そして、店内のワンちゃん、ネコちゃんを一通り見ていくと、ちっちゃな柴犬の子犬が目につきました。子供が一人遊びをしているような感じで、ときどき私の方を意識しながら転がったり走ったりしてました。「こいつは、なかなかプレゼンテーションが上手いな」と思いしばらく観察をしてました。「顔は可愛いな。お尻が上がっていてスタイルがいいな。女の子なんだ。」と思いながら見つめていると、スタッフの方が近づいてこられて「抱っこしてみます」と言ってくれました。私は両手で受け取り、顔の近くまで持ち上げました。体はとても小さく手のひらに乗っかるサイズです。私の顔をじっと見ているので顔を近づけると鼻の頭をぺろりと舐めてくれました。この瞬間、心を奪われてしまいました。「こんな狭くて環境の悪いところに、いさせてはだめだ!救助しなければ!」となんだかんだと理由をつけて、とうとう契約することになりました。スタッフの方は商売上手で、これから必要なものなど、いろいろ説明してくれました。私はバカだから「すべてお願いします」と言って、たくさんの必要品をいっぺんに買ってしまいました。私は娘ができたような気持になり、有頂天でした。そしてお会計になり「ありがとうございます。合計金額は25万円になります。カードか現金かどちらにされます?」と言われました。私は「現金で」といい「近くの大和銀行に行ってきてもいいですか?」と言いました。スタッフの方は「いいですよ。その間にワンチャンにお化粧をして帰り支度をしときます」と言われました。急いで銀行に行きました。そして戻ってきてお支払いを済ませました。すると女性スタッフの方が可愛い箱を持ってきました。「どうぞ見てください」と言われ見ると首に赤いリボンをしたその子が顔を出しました。体もシャンプーをしていてきれいになり、いい香りがしました。私は感動して嬉しくなりました。「幸せにしてもらうんやで」と言われました。そして、ペットショップを後にしました。
ダンス物語㉓ 2004年ダンススタジオユウ誕生
契約をした私は、鍵を受け取りすぐにテナントへ行きました。部屋の中を見渡してダンス教室のレイアウトを考えました。「おしゃれな教室にするんだ!」と気持ちが高ぶりました。いろんな業者やお店を調べて特に重要な床・鏡・クロスは芦屋の業者に看板は元町の業者にソファー・カーテン・シューズボックスは東急ハンズにオーディオ・モニターは星電社にしました。ダンス教室が仕上がるまで一週間くらいかかりました。そして遂に完成。素敵な教室になりました。私はソファーに寝ころび、しばらくの間、満足感に浸っていました。「後は生徒さんに来ていただくだけだな」と思いました。私は、ダンス教室をオープンするまで一人だったのでいろんなことに走り回っていました。そんな中、ご連絡させていただいた生徒さんの中のSさんが「先生、私でよければお昼から夕方までお手伝いしましょうか?」と言ってくださりました。私は、思わず「助かります!」と言いますと「明日から参ります」とおっしゃいました。そういうことでSさんに手伝ってもらいながらオープンに向けて準備をしていきました。集客は、何人かの生徒さんへのご連絡とチラシの配布だけでした。確定的のものはなく、ほとんどゼロからのスタートでした。そしてオープンの日になりました。私は、黒のスーツにドットのネクタイ、白のポケットチーフを付けてばっちり決めました。気合は入っているのですが心の中は弱気で「誰か来てくれるのかな?」と思っていました。午後1時にオープンして4時になりました。誰も来ません。「あーあー甘くないな」と思いました。「少し息抜きをしなければ」と思いコーヒーを入れかけた時「コンコンコン」とノックがありました。急いで扉を開けると大阪の生徒であったNさんが,お祝いを持ってきてくれました。「先生、おめでとうございます。来れるとき、習いに来ます」と言っていただきました。Nさんとしばらくお話をしていると、またノックがありました。同様にMさんでした。お祝いを持ってきてくださり、とても喜んでくれました。私は、とてもうれしく思いました。そして、初日は、私とSさんNさんMさんの4人で無事に一日が終わりました。その後、お問い合わせがあったり、見学される方が来られたりして少しずつ入会してくださる方が増えていきました。
教室の名称はダンススタジオユウです
2004年ダンススタジオユウが誕生しました
ダンス物語㉒ 夢と現実の狭間!そしてダンス教室オープンへ!
私はその夜、ダンス教室をオープンするか、それとも会社勤めをしながら教えていくか、じっくり考えました。教室をオープンするのは私の夢で、純粋にダンスの上達を目指せたり、社交ダンスを習ってみたいが一歩踏み出すことのできない方の後押しができます。それとダンスの研究が十分できることです。このようなことを考えているとダンス教室での一日のスケジュールが思い描かれてきました。「午後1時から2時までグループレッスン=2時から5時までは個人レッスン=5時から6時は休憩時間=6時から7時半は個人レッスン=7時半から8時半はグループレッスン=9時からはプロの練習」と想像しました。とてもワクワクしてきました。「ダンス教室をするんだ!」と心の叫びが聞こえてきました。そして、その方向に心を奪われかけたその時「待てよ!やっていけるのかな?」と頭をよぎりました。収入は生徒さんからのレッスン料です。支出は家賃、光熱費、通信費、広告料などです。天秤ばかりにかけると支出より収入の方が重く(大きく)なければなりません。「ダンス教室をオープンして果たして収入を支えてくださる生徒さんが来られるのかな?」と不安になりました。今現在は上場企業の社員という立場です。安定した収入が入ってきます。会社勤めをしながら教えていく方がとてもリスクが少なく安心感があります。「会社員という立場を失って明日どうなるかわからない事業をしてもいいのだろうか?」と思いました。このようなことを思うには理由があります。それは、来ていただける生徒さんの見込みはほとんどゼロに等しかったからです。このように考えるとさらに不安になってきました。物件へのひとめぼれで、ほとんど事業への計画性がなかったからです。「困ったな~今回はあきらめた方がいいのかな?」「ある程度生徒さんを集め、きちんと計画を練ってからの方がいいのかな?」と迷いました。ベッドに横になり天井を見ているとわずかな時間でしたが夢を見ました。それは、オープンした教室で楽しく生徒さんと踊っている光景です。それはとても楽しい夢でした。目が覚めてもしばらく余韻が残っていました。夜中の3時になっていました。私は、いろいろ考えた末、決断しました。「自分の内なる声を信じよう!直感を信じよう!」「教室をオープンしよう!やらなければならないんだ!」と心に決め就寝しました。朝になりました。気持ちは変わりませんでした。会社に行き退職届を受理していただきました。仕事をしていてもテナントの契約のことばかり考えていて終わると管理会社に走りました。そしてテナントの契約を終わると、これまでになかった気持ちになりました。「ちょうど、かごの鳥が解き放たれ大空に飛び立つような」 2004年
ダンス物語㉑ ダンス教室をオープンできるか?一国一城の主になりたい!
私は、テナント募集の物件が気になって
次の日の仕事中も考えていました
「この気持ちはどうにも止まらない!」と思い
お昼休みに物件の管理会社に電話をしました
すると、今日内覧できるということなので
仕事を終えると三宮へ走りました
担当の方に案内してもらい室内に入ると
スッキリした長方形のワンフロアで
ミニキッチン、トイレ、収納部屋がありました
床はクッションタイルでした
踊れる距離があるかスロー・フォックストロットの
フェザーステップからホバークロスまで踊ってみました
「なんとか行けそう」
「一人で教えるのだから十分だ」と思いました
床を張り、クロスを変えて鏡を付ければ
立派なダンス教室になリます
「生徒さんも気楽に習えるし
私も一国一城の主になれる」と夢が膨らみました
心の中から「夢を現実にするんだ」と
声が聞こえてきました
私は、夢と現実のはざまの中で硬直状態でした
しばらく、「ボー」としていると
担当の方が「どうされますか?」と言われました
「ハッ!」と我に返りました
「どうされますか?と言われても困ったな」
「このまま何もせずに帰ったらこの夢は
一生実現できないかもしれないな」と
最後には「これは運命的なものなんだ!」と直感に頼り
担当者の方に「お返事は1日待ってもらえませんか?」と
お願いすると「いいですよ」と言っていただいたので
安心してその場を後にして家路に向かいました
そうして家に向かっているのに足取りは重く
後ろ髪をひかれる思いがしてきました
私は、とうとう物件の前まで戻って来てしまいました
1階は立体駐車場の入り口です
「騒音の心配はないな・・・」
「2階を見上げれば踊ってる姿が見えるな・・・」
「おしゃれな看板を付ければいい感じだな・・・」と
しばらく、考え込んでいました
そして思わず「決めた!決めた!決めた!」とつぶやき
早歩きで家路に向かいました
ダンス物語⑳ 教室に所属するかフリーで行くか!そんな中、三宮駅近くの物件にビビット来る
私は、毎日会社勤めの平凡な生活をしていました
仕事が忙しくなってきたので
ダンスは限られた時間だけになりました
仕事のスキルを上げるために
国家試験にチャレンジしました
宅地建物取引主任者(旧)
第一種電気工事士
電気主任技術者など不動産、技術系の
国家資格を10個くらい取得しました
会社の部長は大変喜んでくれましたが
お給料は、上がりませんでした😢
仕事が定時で帰れたときは、すぐシャワーを浴び、
おしゃれ着に着替え大変身して
貸しホールへダンスの練習に行きました
体の動きの不完全な場所を探しては修正、
この繰り返しをしていきました
最後にパートナーと踊りを流して微調整します
しっくりくると、とても満足感があります
そうこうしていると、すぐ時間がたってしまい
明日も朝早いので、家路に向かいました
こんな生活がしばらく続く中
何人かの生徒さんから連絡が来るようになり
「三宮まで行きますから、教えてください!」と
おっしゃってくださいました
私は、「すぐさま、お待ちしてます」と言いました
その後、少し考えて「待てよ、会社に勤めているんだ
どうやって時間を作ろうか?」と
そのころ就業時間が不規則であったため
生徒さんとの約束が果たせるか不安でした
毎日そんなことを考えながら仕事をしては
家路に向かいを繰り返していました
そんなある日、仕事の帰り道、三宮駅近くの
あるビルを見上げると2階にテナント募集と
文字が見えました
直感的に、ビビッときました
「踊れる広さはありそうだな」
「床はどうなんだろう」と
とても興味がわいてきたのです
その日はとりあえず帰りました
ダンス物語⑲ 神戸に帰った私は再就職!ダンスの研究の成果を市民マラソンで試す!
お金が尽きた私は、東京から
とりあえず神戸に帰り
これからどのように生活していくか
思案していました
「ダンスでは生徒がいないので、すぐには食べていけない!」
「何か仕事をして収入を得なければ!」と思い
だらだらと3か月くらい過ぎたある日、
プルプルプルと電話が鳴りました
出てみると以前お世話になった
派遣先の会社の部長からでした
部長は、私に「今何してんの?」
「社員として働いてくれない?」と
お声をかけてくださりました
私は、少し戸惑いましたがお金がなかったので
「よろしくお願いします」と返答しました
こうしてお昼は会社で働き、その他の時間は
今まで学んだこと、東京で学習したことを
まとめながらダンスの研究をしていきました
研究というのは、今まで何百人の方と
踊ったり教えさせていただいたりして
得られたデーターを検証していくことです
当然、何人かの女性支持者の助けを借りながら・・・
何年か経ち、確証みたいなものが得られたので
自分自身の身体操縦がうまくできるか試すために
関西地区の市民マラソンに片っ端から出場しました
なぜマラソンかというと、立つ、歩く、走ることが
ダンスの基本であるからです
最初に出場をしたときは1000人中200位くらい
でしたが身体の微調整をしながら出場を重ねていくと
5回目で20位以内、10回目になると
5位、3位、2位と入賞できるようになりました
新聞にも載るようになったので
会社の名前で走りました(宣伝のため)
私は、「やった!構築できた!」と叫び
研究の成果が出たことに興奮しました
2位になったときは、会場近くの居酒屋で
お刺身、天ぷら、サイコロステーキを食べながら
「ダンスの技術に応用できる」
「無理なレッスンをしなくても
生徒さんを上手にしてあげることができる」と
お酒も入っているせいか過剰な自信に満ち溢れていました
そして、
「少しずつ生徒さんに教えていかなければ!」と
冷静にもなっていました
青春時代の1ページ
ダンス物語⑱ 社交ダンスの追求を重ね、ついに発見! そして神戸へ!
東京でレッスンを重ねているうちに
ふと、思ったことは
「関西に比べてレベルが高いな,
層が厚いな」と痛感しました
上手な方は、踊るときに
エネルギーや力を上体から
水平ラインより、やや下方に使います
訓練が浅いと踊るときに
下腿から水平ラインより上方になり
動きが上ずってしまいます
軸に重心をかけながら
踊れないということです
もう一つ上手な方の特徴は
踊り方がとてもナチュラルです
ボディを極度にねじらないので
動きに滑らかさがあります
「このような動きをどうしたら
論理的にできるのだろう」と
いつも考えるようになりました
そんなある時 テレビで
馬の歩き姿を見ていて
思わず 「これだ!」と思いました
「お馬さんありがとうございます」 ニッコリ
物理には、ベクトルや位相差があります
ボディの動きには軸が関連しています
軸は方向性を示すベクトルや
時間差を示す位相差を
組み合わせることにより
合理的な動きが可能になると
ひらめいたのです
思わず這いつくばりました(笑)
ダンスは、足を動かしてステップを
するのですが、縦長の体を
平行移動するには
上体(ボディ)の作用が必要です
私は、しばらく検証を繰り返し
ある程度自信がついてきました
何人かの上手な女性の方に協力していただき
ある程度確証を得ることができました
気がつくとあまりにもダンスに没頭しすぎて
生活費が少なくなっていました
「明日から どうしよう、お金がない!」
「ある程度学んだし、発見があったから
とりあえずもういいかな」と思い
神戸へ帰ることにしました
青春時代の1ページ
ダンス物語⑰ 今夜はどこに泊まろう?東京での修業が始まる!
ダンスホールを後にした私は
今夜 泊まるところを探しました
これから自分自身の勉強代が
かかるので「経費を下げなければ!」
と思い新宿区役所近くの
カプセルホテルにしました
中に入ると、二段になった
カプセルの部屋が両サイドに
並んでいました
私は上の部屋になりました
とりあえずシャワーを浴びて
みなさんが集うフロアに行きますと
一人のおじさんが、私を見るなり
ニッコリされ「どちらから?」と
聞かれました
私は「神戸から来ました」と言うと、
「そうか、僕は、ここに住んでいるんだ
昔は、役者をしていてね
今は仕事も来なくなり、ここが
終の棲家になっているんだ」と
1時間ぐらい、このようなことを
語られました
「私も以前、朝日系列のテレビドラマに
出演したことがあります」と
言いますと
「あなたは俳優ですか?」と
聞かれましたので
「違います
私は、プロのダンス教師です」と
言いました
すると、おじさんは私のことに
とても興味を持ってくださり
更に、1時間ほどお話をしました
最後の方になると,おじさんの
自慢話のオンパレードが始まり
私も少し疲れてきましたので
「そろそろ就寝してもよろしいでしょうか?」と
おじさんに言いますと
「おー!悪かった!悪かった!」と
言われましたので
「では、おやすみなさい」と
ご挨拶をしますと
おじさんは「おやすみなさい
ゆっくり休んでください
この続きはまた明日ね」と
言われました
私は「まいったな!」と思い
明日は、自分自身のレッスンが
あるので、すぐ寝ることにしました
青春時代の1ページ
!
ダンス物語⑯新たな旅立ち!東京のダンスホールでスカウトされる!
私は、神戸の街のインフラが整うまで
いろんな仕事をしました
今までは、香水が漂う教室の中で
ドレスアップした女性相手にダンスをしていたのが
荒々しい言葉が交錯する男たちの中で
汗をかきながら仕事をしているのです
神戸も少しずつ復興していき
町も正常化していきました
私も精神的な苦しみが癒されたので
ダンスをすることを考えるようになりました
しかし、時がたちすぎたため大阪の生徒さんたちとは
疎遠になってしまい、教室に戻る理由がなくなってしまいました
「仕方がない!」「ああ、無常!」
何日か呆然としていました
そして新たな旅立ちを決断しました
それは、東京でダンスを踊ることです
いくつかのダンス教室をピックアップして
新宿行きの夜行バスに乗って東京に行きました
朝6時頃ついたので喫茶店でモーニングを頼み
お昼過ぎまであちらこちらと歩いて回りました
そしてお目当ての教室に行きましたが
お休みでした <ショック>
その時、思い浮かんだのが新宿にダンスホールがあるので
どんな雰囲気か見に行ってみようと思い
夜7時頃、踊りに行きました
受付に黒服の方が立っていて
そこでお支払いをして中に入りました
大勢の方が踊っていました
ソファーに座ってしばらく眺めていました
「やはり東京、レベルが高いなー」と
私は思いました
踊り方が洗練されています
そうしていると向こうから
ローマの休日の王女様のような
女性の方が近づいてこられて
「踊ってくださらない」とおっしゃられました
「はい」と返事をしてワルツを踊りました
とてもいい香水の香りがしました
ドレスも宝石もかなり高価なものをつけられていて
「この方は、ただものじゃないな!」と思いました
私のリードに従順についてこられて
とても感じのいい踊り方をされる方だなと思いました
踊り終わって、私は、「お上手ですね」と言いました
すると彼女は、「あなたこそ」と言ってくれました
そして「入ってこられた時からずっと見てました」
「あなた様はプロでしょ!わかっているんだから」と言われ
私は、「参りました」と答えました
そうして、彼女のお友達とか他の奥様とか
いろんな方とご縁ができてしまって
雇われダンサーのようになっていました
これはまずいぞ!そろそろ帰らねば!と思い
一区切りがついたところで
「今夜は楽しかったです。そろそろお暇します」と言いますと
「あら、もう少しよろしいじゃないですか」
「この後、お寿司屋さんに行きましょ」
「ねえ、先生」とおっしゃられました
私は、いつの間にか先生になっているぞと思い
東京に来た目的があるので今夜は退散しました
帰る時、支配人らしき方が
「どちらの先生ですか?」と言われ
「神戸から来ました」と言いました
すると突然「うちに来てもらえませんか?」と
言われて、わたしは「ちょっと今は?」と
曖昧な返事をしました
「いつでもご連絡ください」と名刺を渡され
「わかりました」と答えてダンスホールを後にしました
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ダンス物語⑮1日も早く復帰したいが、精神的に踊れなくなる!神戸の復興がまず第一!
私の住宅は、半壊状態になり
避難所で生活することになりました
毎日、冷たい弁当ばかりを食べていて
「あったかいものが食べたいなー」と
思っていました
何週間か経ち 避難所で昼寝をしていると
何回も何回も私を呼ぶ声が聞こえるではないですか
ふと見ると、私の生徒のYさんです
「先生、大変でしたね!」
「これ、必要なものが入っています」と
大きな段ボール箱を渡してくれました
その後も10人ぐらい生徒さんが来てくれました
美人先生2人も来てくれました
その頃大阪と神戸は、道路と鉄道が寸断されていて
大阪から新神戸経由で皆さん来てくれたみたいです
私は、「周りの人に恵まれているなー」
「ここまでこれたのは、みなさんのおかげ」
「早く復帰しなければ」と思いました
何日か経ち、ダンスのことばかり考えていましたが
「早く復帰しなければ!」と思うと
地震発生から今までの出来事が走馬灯のように蘇り
精神的に踊れない状態になっていました
もしかして私は、ダンスより神戸復興を考えているのでは
何日間か自問しました
その結果、心の中で「離れてはいけない!」
「少しでも復興のために何かしなければ!」
と思い、意を決して川崎重工の兵庫工場で
電車を作る仕事に就きました
心の中では「生徒のみなさん、すぐに復帰できなくて、すみません!」と
思っていました
その後、何年間、転職を繰り返し
復興にかかわる仕事をしていました
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