ダンス物語㉑ ダンス教室をオープンできるか?一国一城の主になりたい!

私は、テナント募集の物件が気になって

次の日の仕事中も考えていました

「この気持ちはどうにも止まらない!」と思い

お昼休みに物件の管理会社に電話をしました

すると、今日内覧できるということなので

仕事を終えると三宮へ走りました

担当の方に案内してもらい室内に入ると

スッキリした長方形のワンフロアで

ミニキッチン、トイレ、収納部屋がありました

床はクッションタイルでした

踊れる距離があるかスロー・フォックストロットの

フェザーステップからホバークロスまで踊ってみました

「なんとか行けそう」

「一人で教えるのだから十分だ」と思いました

床を張り、クロスを変えて鏡を付ければ

立派なダンス教室になリます

「生徒さんも気楽に習えるし

私も一国一城の主になれる」と夢が膨らみました

心の中から「夢を現実にするんだ」と

声が聞こえてきました

私は、夢と現実のはざまの中で硬直状態でした

しばらく、「ボー」としていると

担当の方が「どうされますか?」と言われました

「ハッ!」と我に返りました

「どうされますか?と言われても困ったな」

「このまま何もせずに帰ったらこの夢は

一生実現できないかもしれないな」と

最後には「これは運命的なものなんだ!」と直感に頼り

担当者の方に「お返事は1日待ってもらえませんか?」と

お願いすると「いいですよ」と言っていただいたので

安心してその場を後にして家路に向かいました

そうして家に向かっているのに足取りは重く

後ろ髪をひかれる思いがしてきました

私は、とうとう物件の前まで戻って来てしまいました

1階は立体駐車場の入り口です

「騒音の心配はないな・・・」

「2階を見上げれば踊ってる姿が見えるな・・・」

「おしゃれな看板を付ければいい感じだな・・・」と

しばらく、考え込んでいました

そして思わず「決めた!決めた!決めた!」とつぶやき

早歩きで家路に向かいました

ダンス物語⑳ 教室に所属するかフリーで行くか!そんな中、三宮駅近くの物件にビビット来る

私は、毎日会社勤めの平凡な生活をしていました

仕事が忙しくなってきたので

ダンスは限られた時間だけになりました

仕事のスキルを上げるために

国家試験にチャレンジしました

宅地建物取引主任者(旧)

第一種電気工事士

電気主任技術者など不動産、技術系の

国家資格を10個くらい取得しました

会社の部長は大変喜んでくれましたが

お給料は、上がりませんでした😢

仕事が定時で帰れたときは、すぐシャワーを浴び、

おしゃれ着に着替え大変身して

貸しホールへダンスの練習に行きました

体の動きの不完全な場所を探しては修正、

この繰り返しをしていきました

最後にパートナーと踊りを流して微調整します

しっくりくると、とても満足感があります

そうこうしていると、すぐ時間がたってしまい

明日も朝早いので、家路に向かいました

こんな生活がしばらく続く中

何人かの生徒さんから連絡が来るようになり

「三宮まで行きますから、教えてください!」と

おっしゃってくださいました

私は、「すぐさま、お待ちしてます」と言いました

その後、少し考えて「待てよ、会社に勤めているんだ

どうやって時間を作ろうか?」と

そのころ就業時間が不規則であったため

生徒さんとの約束が果たせるか不安でした

毎日そんなことを考えながら仕事をしては

家路に向かいを繰り返していました

そんなある日、仕事の帰り道、三宮駅近くの

あるビルを見上げると2階にテナント募集と

文字が見えました

直感的に、ビビッときました

「踊れる広さはありそうだな」

「床はどうなんだろう」と

とても興味がわいてきたのです

その日はとりあえず帰りました

ダンス物語⑲ 神戸に帰った私は再就職!ダンスの研究の成果を市民マラソンで試す!

お金が尽きた私は、東京から

とりあえず神戸に帰り

これからどのように生活していくか

思案していました

「ダンスでは生徒がいないので、すぐには食べていけない!」

「何か仕事をして収入を得なければ!」と思い

だらだらと3か月くらい過ぎたある日、

プルプルプルと電話が鳴りました

出てみると以前お世話になった

派遣先の会社の部長からでした

部長は、私に「今何してんの?」

「社員として働いてくれない?」と

お声をかけてくださりました

私は、少し戸惑いましたがお金がなかったので

「よろしくお願いします」と返答しました

こうしてお昼は会社で働き、その他の時間は

今まで学んだこと、東京で学習したことを

まとめながらダンスの研究をしていきました

研究というのは、今まで何百人の方と

踊ったり教えさせていただいたりして

得られたデーターを検証していくことです

当然、何人かの女性支持者の助けを借りながら・・・

何年か経ち、確証みたいなものが得られたので

自分自身の身体操縦がうまくできるか試すために

関西地区の市民マラソンに片っ端から出場しました

なぜマラソンかというと、立つ、歩く、走ることが

ダンスの基本であるからです

最初に出場をしたときは1000人中200位くらい

でしたが身体の微調整をしながら出場を重ねていくと

5回目で20位以内、10回目になると

5位、3位、2位と入賞できるようになりました

新聞にも載るようになったので

会社の名前で走りました(宣伝のため)

私は、「やった!構築できた!」と叫び

研究の成果が出たことに興奮しました

2位になったときは、会場近くの居酒屋で

お刺身、天ぷら、サイコロステーキを食べながら

「ダンスの技術に応用できる」

「無理なレッスンをしなくても

生徒さんを上手にしてあげることができる」と

お酒も入っているせいか過剰な自信に満ち溢れていました

そして、

「少しずつ生徒さんに教えていかなければ!」と

冷静にもなっていました

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