ある日、教室でレッスンをしていると、
一人の男性が見学に来られました。
そして、入会されることになりました。
その方は、某大学の教授です。
私は、「この方を誰が教えるんだろう?」と、
興味津々で見ていたら、
ベテランの女性のH先生が担当になりました。
そして、週2回レッスンに来られました。
そんなあるとき、私は、レッスンをしていると、
隣から言い争う声が聞こえてきたので、
ふと、振り向くと教授とH先生でした。
どうも、教授は、H先生の教え方が、
論理的ではなかったことに不満だったみたいです。
私は、これは2人とも頑固だから、
「これから先、大変だな!」と思いました。
レッスンも終わり、
椅子に座っていると、「ちょっとよろしいですか!」と、
教授が来られて、「Iと申します。」と、
ご挨拶されました。そして、私に、
「ちょっと教えていただけませんか?」と、
おっしゃられました。
どうも、サンバのベーシックがうまくできなかったようです。
私は、リズムと、バウンス・アクションの仕方を
丁寧に説明してあげると、とても喜ばれ、
「ありがとう!」と、一言、言われて
お帰りになられました。
それからは、I教授とよくダンス談議しました。
北野坂に風月堂という喫茶店がありました。
コーヒーが600円くらいで、
お菓子がついていたように記憶してます。
そこで、I教授は、「僕は、先日、気づいたんだ。
雨の日に、水たまりを飛び越えようとして。
その時の弾みが、バウンス・アクションだ!」と、
私は、「凄い!日常生活から導き出すとは」と、思ったのです。
I教授は、テンションが高まり、
「ディスコに行こう」とおっしゃいました。
当時、ディスコ、ライブハウス、キャバレーなどが、
流行っていて、東門街のマハラジャ、
北野坂のセキーナ、
生田ロード山側のナイトアンドデー、
トアロードのケントスなどで、よく踊っていました。
私は、ディスコダンスに自信があったので、
「行きましょう!」と、返事しました。
最初は、I教授と2人で行きましたが、
その後、ダンス仲間4~5人が加わり、
とても楽しくなりました。
ナイトアンドデーでは、他のお客さんから、
「貴方に踊ってもらうには、
どこで、受付したらいいのかしら」と、
言っていただき、
「私も客です。踊りましょう!」と、
踊ってあげました。
そんな日が、しばらく続き、
ある日、I教授のご自宅に伺うことになりました。
お部屋は、本でいっぱいでマルクスの資本論など、
経済の本ばかりでした。
I教授の専門は経済、私の専門はダンスで
お互いの強みを織り交ぜながら、
楽しくお話を数時間させていただきました。
そして、「君のことをいつか本にしたいと思っている!」と、
言っていただき、私は、すぐさま
「悪いことは、書かないでくださいね!」と、
言うと、「ニッコリ!」と、笑われて
唐突に、「君、僕と一緒に住まないか?」と、
おっしゃられ、私は、「ドキッと!!」としました。
「これは、いろんなスタイルがあるぞ!
どんなことになるんだろう?」と、
勝手にいろいろと想像を膨らませました。
どうも、大学近くのマンションに住みたくて
2人で生活すれば、家賃が折半できるからだそうです。
I教授は、「考えといてね!」
「僕は今から神戸大学に論文を持っていくから」と、
言われて出ていかれました。
私は、ゆっくりとさせていただき、
指示された方法で施錠して帰りました。
次の日曜日、大学近くの3LDKのマンションを、
内覧しました。とても綺麗です。
I教授は、とても、テンションが上がっていて、
「僕は、奥の部屋で 君は、すまないが玄関近くの部屋に
してくれないかな。なぜならば、論文に集中したいんだ。
もう一つの部屋は、2人の収納部屋で、どうかな?」と、
おっしゃられました。
私は、思考が働かず、帰ってから相談することで、
その場を後にしました。
結局は、2人で何回も検証して
やめておこうということになりました。
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