お金が尽きた私は、東京から
とりあえず神戸に帰り
これからどのように生活していくか
思案していました
「ダンスでは生徒がいないので、すぐには食べていけない!」
「何か仕事をして収入を得なければ!」と思い
だらだらと3か月くらい過ぎたある日、
プルプルプルと電話が鳴りました
出てみると以前お世話になった
派遣先の会社の部長からでした
部長は、私に「今何してんの?」
「社員として働いてくれない?」と
お声をかけてくださりました
私は、少し戸惑いましたがお金がなかったので
「よろしくお願いします」と返答しました
こうしてお昼は会社で働き、その他の時間は
今まで学んだこと、東京で学習したことを
まとめながらダンスの研究をしていきました
研究というのは、今まで何百人の方と
踊ったり教えさせていただいたりして
得られたデーターを検証していくことです
当然、何人かの女性支持者の助けを借りながら・・・
何年か経ち、確証みたいなものが得られたので
自分自身の身体操縦がうまくできるか試すために
関西地区の市民マラソンに片っ端から出場しました
なぜマラソンかというと、立つ、歩く、走ることが
ダンスの基本であるからです
最初に出場をしたときは1000人中200位くらい
でしたが身体の微調整をしながら出場を重ねていくと
5回目で20位以内、10回目になると
5位、3位、2位と入賞できるようになりました
新聞にも載るようになったので
会社の名前で走りました(宣伝のため)
私は、「やった!構築できた!」と叫び
研究の成果が出たことに興奮しました
2位になったときは、会場近くの居酒屋で
お刺身、天ぷら、サイコロステーキを食べながら
「ダンスの技術に応用できる」
「無理なレッスンをしなくても
生徒さんを上手にしてあげることができる」と
お酒も入っているせいか過剰な自信に満ち溢れていました
そして、
「少しずつ生徒さんに教えていかなければ!」と
冷静にもなっていました
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